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マインドパペット日記

MIND PUPPET BLOG

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憑霊パペット論 再び

先日Twitterの方で憑き物筋の話が出たので、数年前に郷里の米子市内に行った時に調べた記事「憑霊パペット論」を発掘して来ました。内容は古いし、写真は少ししか残ってないし、具体的なデータと言うより俺の考えを述べただけの記事で申し訳ない。資料は、米子図書館の蔵書からコピーした物や、市内の古本屋で買った古本などです。

狐持ちについて

憑き物云々は、漫画やゲームなどでもよく出て来るので皆さん知ってると思いますが、一応説明。

「憑き物」とは、動物霊などが人間に取り憑き、災いをもたらすと信じられている現象で、「狐憑き」「犬神」「管狐」などの様々な種類があります。
俺の郷里の鳥取県あたりでは、「人狐(ニンコ)」「外道(ゲドウ)」と呼ばれる狐憑き、「トウビョウ」なと呼ばれる蛇憑きなどがあるようです。

そのような「憑き物」に憑かれた人は一般に、動物のように振る舞い、その人らしからぬ言動を見せるようです。
また「憑き物」を操り、他人に「憑かせる」側の人々……「憑き物筋」とか「ソンツル」と呼ばれる家系があります。

郷里にいた頃は全く気にならなかったんですが、大人になってからふと気になり、帰省するついでに少し調べてみました。
一応言っておきますが、俺はオカルト全般を信じてないし、特定の人々に対する差別的考えがあっての事ではありません。また、もちろん専門家じゃないし、特に詳しいわけでもありません。ちょっと面白そうだから調べてみた、夏休みの自由研究のようなものだと思って下さいませ。
以下、続きから。



狐憑きについて2


■持ち/憑き/稲荷信仰

少しややこしいのだが、「キツネ持ち」と呼ばれる人々が「キツネ憑き」なのではない。
「キツネ持ち」とは、「キツネ」と呼ばれる動物霊を「憑ける」側の人々を指し、他の人々を「キツネ憑き」にさせる能力があると信じられている人々の事だ。通常、「キツネ持ち」は不名誉とされ、自ら堂々と「我々はキツネ持ちだ」と言うような人々はあまりいない。実際にキツネを祀っているわけでもなく、呪いの儀式を行うのでもない、ごく普通の村人だ。

そして、キツネを「憑けられた」とする人が、「キツネ憑き」と呼ばれる。
キツネが憑くと、尋常ではない行為をしたり、ケモノのような顔になったり、病気になったり、食物を要求したりすると言われている。しかしそれは、その人が悪いのでもなく、自然に憑くものでもなく、「キツネ持ち」が「キツネを憑けた」からだとされている。つまり「キツネ憑き」は、「キツネ持ち」と呼ばれる人々による「人災」だと思われているようだ。ここに、「キツネ持ち」と呼ばれる人々への差別やイジメが発生する。

今はもう、本気でそんな事を言う人は少なくなって来ているが、戦前にはだいぶ蔓延していた風習らしい。
ルーツも古いものではなく、宗教的な根拠も薄く、あっという間に広まり、すぐに廃れたようだ。
俺の印象では「口裂け女」や「人面犬」などの都市伝説に近いような感じがした。

また、「キツネ憑き/キツネ持ち」と「稲荷信仰」は元々は関係なかったようだ。
本来別々のものであるものが、「キツネ」という言葉のイメージによって結びつき、今では混ざってしまったらしい。


■キツネ持ちとは

地方によって憑く動物の種類は様々だが、鳥取、島根、岡山あたりでは主に「人狐」「ゲドウ」「トウビョウ」などと呼ばれている。
その姿は、いわゆる「キツネ」とは違い、大きさはイタチほどで、身体は長く、耳は丸い。手を胸の前にかざす癖がある。75匹が一組になって行動するが、その中には役割分担があって、長老や按摩師、祈祷師などがいるという。春先になると、畑の中で75匹が群れて遊んでいる事もあるという。

「キツネ持ち」「ゲドウ筋」と呼ばれる血筋の人々は、このキツネを飼い、憎いと思ったり妬ましいと思ったりした人の所に使わし、病気にさせたり精神異常にさせたりするという。
しかし、飼い主が完全にコントロールしているのではなく、飼い主の無意識の妬みや憎しみを察知して、命じられてもいないのに、勝手に行動する事があるという。

その為、キツネ持ちの血筋の人に「羨ましい」と思われてはいけない。
本人に悪気がなくても、キツネたちが勝手に気を利かせて悪さをするからだ。
キツネ持ちの人が、ある家の壷を褒めたとすると、それは数日内に失くなり、ある家の農作物の出来を褒めたとすると、その農作物は枯れ、ある家の子供を可愛いと言うと、その子供は死ぬとされている。
いわゆる「邪眼」の持ち主と同じような性質があるようだ。

また、キツネ持ちの家は裕福な家に多いという。
これは、キツネたちが他の家から金品を持って来て、飼い主の元に集めるからだという。

キツネ持ちの家に女子が産まれると、キツネも75匹増え、その女子が嫁に行く時に、箪笥の上に乗って付いて行くという。よって、「キツネ持ち」は女性によって増え、その血筋が伝染して行く。そのため、「キツネ持ち」と呼ばれる血筋の女性は、婚姻を禁忌とされ、村八分にされる事がずいぶんあったようだ。


■相互監視システムとしてのキツネ持ち

さて、このような迷信の動機には「嫉妬」があるとされている。
経済状況が横並びの村の中で、いわゆる「人並みの生活」から外れるような、派手な暮らしをする人々に対しての嫉妬が主な理由というものだ。

これは、長らく武士の統治下で制限され搾取されていた農民たちが、その制度に適応する為に自ら作った「相互監視システム」と言えると思う。
綺麗な着物を着る事も許されず、髪に油を付ける事も許されず、生かさず殺さず飼い殺しにされて来た農民たちにとって、人並み外れた派手な生活をする者は、それだけで危険なものだったのだろう。

農業を辞めて他の職に就く事を「ノーヌケモノ」(農抜け者)と言って蔑視したり、ベンチャー事業を始める事を「ムホン」(謀反)と言う事からも推察されるように、実験的、冒険的な事をする者は、脱落者であり、また裏切り者でもあったのだろう。
古くからの農村地帯には、“自力で努力し、新たに開拓して成功する事”よりも、“先祖伝来の財産を守り、わずかでも減らないようにする事”を重んじる傾向があるという。
このような傾向は、小松和彦言う所の『限られた富のイメージ』だと思う。

新たに獲得する事を良しとせず、そこにあるものを皆で分け合う事が美徳とされる世界の中では、誰かが幸せになるという事は、他の誰かの幸せを奪っている事になる。世の中の幸せの量は一定だから、誰かが豊かになれば誰かが貧しくなる。誰かの運が良くなれば誰かの運が悪くなる。皆で分け合うべきわずかな幸福を奪い、独占する……そういう事をするのが「キツネ持ち」だとされて来たようだ。

「なぜ我々は貧しいのに、彼らは裕福なのだろう?」
「きっと悪い事をしているに違いない」
「そうだ、まともな生活をしていれば、あんなに裕福になれるはずはないのだから」
「そうだ、ゲドウ(外道)を使っているに違いない」
……という感じだろう。

身分制度が崩壊し、自らの力で成功を治めた者は、そんな土地の中では危険分子になったのだろう。「人と違わない生活」「皆で分け合うわずかな幸福」「清貧」を美徳とする文化の中で、自分で運命を切り開いて生きて行こうという姿勢は、イジメの対象となったのだろう。

武家によって躾けられ、家畜のように扱われた農民は、自らそれに適応し、慎ましく従順に生きる事で安全を確保した。
そして常に、そのルールから外れる者がいないかと監視し、外れものが現れたら自分たちで粛正するというシステムを作りあげたのだと思う。
「キツネ持ち」は、その「相互監視システム」のひとつの形だと俺は思う。


■キツネ持ちという差別

「持ち筋」と言われる家へのイジメは凄まじいものがあったらしく、婚姻忌避、村八分という消極的なものから、迫害、弾圧と言われるものまであったようだ。
土佐では昔、「犬神筋」と呼ばれる人々が皆殺しにされるという「犬神狩り」があったようだが、出雲地方でも同じような「人狐狩り」があったらしい。

かつては裕福だった家でも、ずっとそれが続くとは限らない。
代が変わるに連れて経済事情が悪化し、妬まれる事が無くなった家でも、「キツネ持ち」というレッテルは残り、過酷な差別がなされたようだ。

自分たちに何の心当たりも無く、キツネを祀った事など無い家でも「あいつらはキツネ持ちだ」と言われると反論出来ない。
キツネは主人の無意識で動くのだから、本人たちが「知らない」と言っても無駄なのだ。
西洋の魔女狩りと同じように、大勢の人々が、何の根拠も無く、あるいは些細な事を理由に、ただ狩られて殺された。
そういった迫害に遭わずとも、イジメ、リンチ、一家心中、自殺は後を絶たなかったと言うし、好き合った同士が結婚出来ずに心中した事も多かったようだ。

身近なところでは、俺の遠い親戚にも「ゲドウ持ち」と呼ばれる家があって、そのせいで父と母は結婚を反対され、式を挙げるのに6年かかったという。
また、俺の母は子供の頃、都会から来た転校生を「キツネ憑きだ」と言って皆で虐めた事があるという。
その根拠は、その頃あまり食べられなかったニンニクをその転校生が食べていたからだとか。
実に希薄な根拠だが、そんな理由は口実で、実のところは都会から来た転校生の、洒落た服や裕福な経済状況が羨ましかったのだと思われる。

何にせよ、「キツネ持ち」と呼ばれる側の人々には、抵抗する術が無かったらしい。
裁判になった事もあるらしいが、かえって「あの家はキツネ持ちだ」と宣伝する結果になってしまう。それを怖れて、泣き寝入りする人々もたくさんいたという。


■キツネ憑きとパペット

ではなぜ、人は「キツネ憑き」になるのだろう?
もちろん、精神分裂病やその他の精神障害も理由の一つだろうが、それにしては単発的で、一度憑かれても完治する事が多い。何度かぶり返す事もあるが、それ以外の時はごく普通の生活を送っている者が多い。
どうも精神障害だけではないような気がする。

俺はキツネ憑きとは、押し殺されたパペットの発動ではないかと思う。

キツネに憑かれた人々がどんな状態になるのかは千差万別のようだが、だいたい共通しているのは「目つきが変わる」「声が変わる」「知らないはずの事を言う」などだ。
大人しい人が急に凶暴になったり、真面目な人が急にだらしなくなったり、ぼんやりした人が急に利口になったりする例が多い。
大雑把に言って、「普段のその人らしくない事」をするという事だ。

その、急激な人格変容を説明する為に「キツネ憑き」という物語を作ったのだと思う。
ひとりの人間の人格の多面性を認めない社会、また自分の人格の多面性を表現する手段を持たない人間にとっては「キツネ憑き」になる事でしか、押し殺された自分の一側面を表現し、感情を吐き出す事が出来なかったのではないだろうか。
閉鎖的な地域共同体から出られなかった人々は、キツネ憑きになる事で普段は出せないパペットを出し、人格のバランスを取っていたのではないだろうか。


俺も、誰々丸が出ている時は神経質になるし、ブラァンが出ている時は乱暴な言葉遣いになる。オロカが出ている時は目つきが悪くなるし、エラーが出ている時は声が小さくなる。暗示郎の時の俺を知ってる人が、ドグマの時の俺を見たらギョッとして気味悪く思うだろう。
こんな多面性は誰にでもあると思うが、「人間とはこういうもの」という認識が狭い人にとっては「憑きもの」に見えるかも知れない。
幸い、俺にはパペットを表現する手段も場所もあるが、これが無かったらどうだろう。
押さえ込まれたパペットが暴走する時は、相当のパワーを持つんじゃないだろうか。


江戸時代に活躍した『天狗小僧寅吉』という不思議な少年がいる。
その寅吉が『我慢の人がキツネに取り憑かれる』と言っているが、的確な表現だと思う。

自己イメージから外れた自分を外に出さないように「我慢」している人ほど、それが暴走する危険性は高い。自分を厳しく律し、強くコントロールしようとする「我慢の人」ほど、パペットが表出した時のエネルギーは強い。その、強烈なエネルギーの表出が「その人らしくない事」だと思われ、「何か別の“もの”が取り憑いている」と考えられたのではないだろうか。

俺は、取り憑かれたと称する人が、意識的に演技しているとも思わないし、ウソをついているとも思わない。頭のオカシイ連中だとも思わないし、商売に利用しようとしたとも思わない。中にはそういう人もいただろうが、大半はもっと素朴で単純な事……一種の感情表現、自己表現だったのではないかと思う。

自分が認められないパペットを、「外から来た“もの”だ」と感じる感覚は解る。
「何かに取り憑かれた」とか「自分の中に自分とは別の“もの”がいる」と信じてしまう気持ちも解る。
俺も子供の頃は「自分には悪霊が憑いている」と思っていたし、幽霊のようなものが“視えた”事もある。
けれどそれは、今になって思えばヤミタやその他のパペットたちだったのだと思う。

「自分はこうあるべき」と思っている自分とは違う自分……自分が嫌いな自分、許せない自分……それを「これが自分」という枠から外に出す。外に出された「自分」は、元の場所に戻ろうとして姿を現す。それが俺が「パペットが化けて出る」と言っている現象だ。外界という鏡に映った、もう一人の自分……自分が自分だと認めたくない自分の一部が、キツネであり、幽霊であり、パペットなのだと思う。

幽霊や憑き物を「視る」人は、鏡に映った自分の姿を見ているのだと思う。
だからそれは恐ろしい。他人にとっては笑い話でも、本人にとってはリアルな感覚が付きまとう。
お化けが恐ろしいのは、それが自分の一部だからだ。自分が捨てた自分だからだ。

自分のパペットを知り、ケンカしたり仲良くしたりする事が出来れば、それはそんなに怖れるものではないという事が解るようになる。自分の矛盾を許し、それもまた自分なのだという事が解れば、得体の知れぬ影に怯える事も少なくなる。俺はそう思っている。


■集団の無意識の演劇

キツネであれパペットであれ、その“もの”が騒ぐのを、自分の責任とせず、外から来たもののせいにするには、「誰かに憑けられた」と思うのが手っ取り早いのだと思う。
その為の説明が「あの家はキツネ持ちだ」というものだと思う。
自己イメージから外れる自分を誰かのせいにしなければ、元の平穏な自分には戻れない。
その為のスケープゴートとして、「キツネ持ち」という物語が発明されたのだと思う。

では誰が、その「物語」を発明したのか?

「人狐狩り」などの残酷な事をした非キツネ持ちの村人が、特別に悪意のある、陰険で邪悪な人々なのではなかったと思う。
多分、水戸黄門に出て来る善良な村人のように、素朴でのどかな人々だったのだろう。
真面目に働き、苦労に耐え、自然と共に生き、まともな生活を送ろうとする、信心深く善良な人々だったのだと思う。

しかしその「まともさ」「善良さ」を維持する為には、生贄を必要とする。
それは都合の悪いパペットを押し殺した上に成り立っている「まともさ」であり「善良さ」だからだ。
そして自らの正当性を守るためには、善と悪の物語が必要だ。

その物語を物語ったのは、主に民間の祈祷師だったのだと思う。
誰かが錯乱し、その人らしくない言動をし、周りの人が混乱しているところへ祈祷師がやって来て、「これはキツネに憑かれているのだ」とか「どこそこの家はキツネを飼っているのだ」というストーリーを提案する。それによって生贄が決定し、生贄に社会的制裁を与える事で、集団の無意識が安定する。

では、その祈祷師が「犯人」なのかと言うと、そうでもないと思う。
祈祷師はただ、集団の願望を言語化するだけなのだ。
いわば、集団の無意識という海で波乗りをするサーファーのようなものだと思う。
無意識の表層を滑り、方向付けをする事によって、彼らは糧を得て、生きて行く。


では、何がキツネ憑きの原因なのか?
キツネ憑きには、どんな必要性があるのか?

俺ははこれは、集団の作る無意識的な演劇なのだと思う。
集団の無意識の中にストレスが溜まると、それが村人Aの狂乱という症状になって出る。
そこに祈祷師がやって来て、「これはどこそこの家のキツネが憑いている」と言って、生贄を決める。
後は皆で、その生贄を芝居の舞台に引きずり出し、社会的制裁を加えればいい。
この芝居をする事で、全体の意識レベルが安定するのだろう。

都合の悪いパペットは、押し殺しておかなければならない。
けれど、押し殺し続けるのにも無理がある。
そこで、時々こういう芝居をして、パペットを解放する。
そしてまた、元の生活に戻る。

誰が作ったのでもなく、誰が悪いのでもない。
原因と言えるものと言えば、姿も形も無い「集団の無意識」と言うより他に無いように思う。

この、何度も繰り返される芝居から逃れる方法はただひとつ……
それは外界から来るものではなく、自分自身から発せられ、自分自身に向かったメッセージだと知る事だけだと思う。



■浮遊するパペット

俺は今回、複数の老人から話を聞いた。
彼らは「キツネ憑き」の文化を生きて来た人々だ。それを作り、演じ、伝えて来た人々だ。
特に邪悪でも作為的でもなく、むしろ素朴で無邪気な、「人間は自然に感謝して生きておればええ」という考え方の持ち主だ。
その彼らが言う。「現代の日本は狂ってる」と。
俺は「現代も狂ってるかもしれないが、あんたらの生きて来た時代も、やっぱり狂ってるよ」と思う。

ある文化から、別の文化を見た時に感じる違和感が「狂気」なのだと思う。
どの文化にも、それぞれ違った「狂い方」があるのだと思う。
けれど、狂ってる度合いに大差があるわけではなく、どの文化も同程度に狂っているのだと思う。

多分これは、特定の時代の、特定の場所に限った話ではないと思う。
今もどこかで、排除され、忘れられたパペットたちが怒っている。
帰る場所を失くし、浮遊するパペットたちが泣いている。

我々が、自分の矛盾を抱えて生きる勇気を持たない限り、憑き物も差別もなくならないだろう。
我々もまた、集団の無意識が作る演劇の、作者であると同時に観客であり、同時に役者(パペット)でもあるのだから。


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参考図書:小松和彦「憑霊信仰論」/出雲民俗第十九号「狐持 狐憑」/よどえ教育報「迷信『狐持』を打破しよう」/石塚尊俊「日本の憑きもの」/速水保孝「つきもの持ち迷信の歴史的考察~狐持ちの家に生まれて~」/山田野理夫「憑物」/「伯州雲州 人狐辧惑談」/吉田禎吾「日本の憑きもの」/野村昭「俗信と偏見~キツネモチ偏見の心理」/豊島泰國「憑物呪法全書」/他


テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2010/07/19(月) 19:57:22|
  2. パペット雑記
  3. | コメント:0
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